2011年 12月 07日
ごぶさたぁ~な感じ。
インターネットがつながらないのよ~。
「チチンプイプイ!」で治ってくれればいいのに、どうすることもできないので、放置してあるがです・・・
あぁ久しぶりにブログに向かってるな~。
近頃、デラックスゆかりが「死にたーい!死にたーい!」って泣き叫んでて、すごいんだよね。
全身全霊で、哀しみや苦しみを悲痛な叫びとともに、訴えてくるけど、どうしてあげることもできないしね。
「何が悲しいが?大丈夫だよ。」なんて、ありきたりな適材適所な声かけしたところで、意味ないし。
気を紛らわそうと、ドライブに連れていってみたり、美味しいもの食べたりしても、それもまたその場限りの慰めにしか過ぎず、
見通しのつかない対応に、精神的に消耗していくスタッフたち。
介護なり看護職のような援助職に携わっている人は、
とかく「役に立ちたい。力になりたい」という思いが根底になるから、
何もできないと無力感で落ち込んだり、
力になれれば幸せな気持ちになれる。
「何もできない」と無力感に打ちひしがれる援助者をみたら、
柄の悪い私は、「はぁ~思い高ぶるなよ!偽善者かよ。」って思ってしまうがよね。
所詮「人のためには生きられないし、人助けなんてできない。皆自分が一番大切」なんだもん。
人の手をかりて、どん底でのた打ち回って生きてるように見える人も、ちゃんと自分を守って生きる力をもっている。
援助者はピュアだから、
支えているうちに、「私がいなきゃ。私が一番この人をわかっている」って幸福な思い込みをしてしまう。
「でもね。所詮、あんたがいなくても生きてけるよん。」って話。
薄情な人間に思われるかもしれんけど、そんなもん。
ゆかりに対しても、
どんな方法があるかわからんけど、こうしたから、こうなる。
あーしたから、こうなった。みたいに、どうにかなるもんじゃない。
その日、その時。
一緒に泣いて、笑って、
あれれ。これれ。あれま~。どうなるいね。。。仕方ないちゃ。
とその時、その時の「ゆかり」を受け流すだけ。
でも、ゼッタイに「ゆかり」を見捨てない。
理解できない言動だと、切り捨たり、遠巻きで眺めるような関係はいや。
自分たちには理解不能と線引きしない。ゆかりを孤独にはさせない。
それだけ。
ゆかりは、私たち援助職にすごい学びを与えてくれてる神様だよ。
にぎやかにはこれまで、
「うのいわを」や「さっちゃん」。さらに古い人では「きよえさん」も。
思い通りにならない人こそ、
私たちには大切な存在。
ゆかりは、
「死にたい」という重い言葉とともに、
「私を見て~。頭の中で難しいこと考えてないで、ちゃんと私を見て~」って叫んでるように聞こえるよ。
私も偉そうに言ってるけど、
私もダメでさ~。
「私しか、ゆかりをわかってあげてる人はいない!」という援助者の典型的なおごり。
「私がゆかりを守ってあげないといけない」という抱え込み思考。
これは、私自身を地獄に引きずり込む「思考」の第一歩で、
うつ状態になるリスクが高くなる。
私が完璧なわけじゃないし、
私だけの関わりで、「ゆかり」が幸せなわけじゃない。
にぎやかという場所。
にぎやかの仲間たち、皆の力あってのこと。
わからなくてもいいし、ぎこちなくてもいいから。
それぞれの持ち味で、ゆかりと遊んでくたはれ~。