47歳の葬儀。

イチロー選手に似ていたことから
  「イチロー」と呼ばれていました。

 昔利用していた方ですが、
  本日葬儀に行ってきました。

 高校卒業して
  立山が大好きで
  立山観光の売店で働き始めてすぐに、

 体の異変に気づき下山。

 診断は「脊髄小脳変性症」

 進行性で
 体は不自由になるばかり、

 私が出会ったころには
  歩くのがやっとで、ほぼ車いすでした。


 「イチローを大好きな立山に連れていこう!」って
   ケーブルやバスを乗り継ぎ、
  室堂まで連れて行きました。

  みくりが池で一緒に飲んだビール。
  今でも、あの美味さを思い出せるほど、最上級の味でした。

  スタッフのなっちゃん。
   元スタッフで現在
富山型デイサービス「ありがた家」 理事長のさとみ。
 
  そして、イチローの母。
 なぜか、私の母「静子」も
   イチローの母と同じ昭和16年生まれということで同行しました。。(*_*)

 このメンバーでわかるように、
  本人より、周囲の私たちが一番はしゃいでいたことを覚えています。

 

 元気だったはずの両親が
  先立ち、一人になったイチローは
 病院に入院していました。

  入院先まで連れて行くお手伝いをしたのが、
   私と雲井パパ。

  あれが最後で、
  それっきり、見舞いも行きませんでした。

   その間もイチローは
    頑張って生きていたんだと思うと、
   涙が出ました。


 約30年間 
  不自由な体との生活。


  今日 イチローの大好きだった立山の麓で葬儀がありました。



47歳の葬儀。_d0180229_12141923.jpg

   今頃
  大好きな立山から それを見下ろし
  目を細くして笑ってるんだろうな~。。(#^.^#)


   にぎやかとイチローとの思い出は、
    ほんのわずかな一コマに過ぎないけど、

 そんな時間を共有してくれたことに
  深く感謝し、ご冥福をお祈りしたいと思います。




  ありがとうございます。


  



 
by cherrypiepie | 2014-10-01 12:21 | にぎやか | Comments(0)