菅母とのお別れ

菅母が亡くなってから1ヶ月も経ってしまいました。



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7月1日午前11時ごろ
かっぱ庵にて静かに息をひきとりました。

享年94歳

7月15日がお誕生日だったので、
95歳のお誕生日を祝うことなく
逝ってしまいました。



写真は亡くなる3日前




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肺がんと心不全を患っており、
春頃に「終末期」に入っていると言われていました。

たしかに
食べる量も減ってきたり、
足のむくみがあったり、
変なこと言ったり

少しづつ弱ってるな〜とは思っていました。


でも
にぎやかに来ているお母さんは
よく食べて、よく笑って

永遠にこの日常が続けばいいなぁ〜と

ありえないとわかってても
そう願う毎日でした。




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お父さんとは2度目の結婚で
お母さんには実の子はいません。


あきちゃんはお父さんの連れ子です。

一緒に暮らしたこともなかったと思います。
あきちゃんは、てんかん性発作があり、
13歳から精神病院に入院し50年していたのですが、


お母さんが83歳くらいだったかな。
最後だから、家族3人で一緒に暮らす決心をしました。

すごい決断だった思います。


病院から引き取り
3人暮らしを始めるにあたり、

あきちゃんの通うデイサービスとして出会ったのが私たち、
にぎやかでした。




当初は
あきちゃんだけが通っていたのですが、
そのうちにお父さんも、お母さんも。



家族全員が同じディサービスに通うのが
いいのやら・・・?
悪いのやら・・・?

私個人の考えは
親子が同じなのは悪い内面ばかりがでてしまい、
よくないのでは?と予想していたのですが、


自宅で繰り返される地獄絵巻のような喧嘩でも、
にぎやかでは「よしもと新喜劇」のように面白くて、
みんなが笑ったり、心配したりしてるうちに

家族3人の濃ゆい関係に
他人が介入することで救われることも多く、

結果的には良かったのかもしれないです。











亡くなる10日前から
かっぱ庵にお引越ししました。


歩行のふらつきが激しく、
転倒のリスクが高く、
とても自宅で一人にしておくのは難しいと判断しました。






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亡くなる前日には

お母さんが若い頃にお母さんに
買ってもらった「かすりの着物」をズボンにリメイクして届けました。


「うれしぃ〜」って
 とっても喜んでくれました。




主治医からは
肺がんは最期とても苦しむから
在宅で見届けれるかどうか?と言われていたのですが、



お母さん、
一回も「苦しい」と言わないどころか

「ありがとう」とか「美味しい」とか
「気持ちいい」とか

私たちに嬉しい言葉だけを残していきました。








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あまりに
あっという間の別れに寂しさはありますが、
見事な最期でした。



亡くなった日の夜
「あきちゃん」と一緒に



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あきちゃんが
菅のお母さんとお父さんの生きてきた証でしょうかね。

だとしたら
あきちゃん
宝物ですね。






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お母さんのお姉さんに会いに
毎年「福井」に行きました。


良い思い出です。

お父さん
お母さん
たくさんお世話になりました。


ありがとう。











by cherrypiepie | 2024-07-31 17:20 | にぎやか | Comments(0)